魂の在り方と愛
2022/01/31
今日は旧暦の大晦日みたいですね。
色々と切り替わるタイミングのようですね。
私は、ハイリスクな人が集まる職場が明日から10日間、閉所することになり
在宅勤務に切り替わります。
そして来週半ばから東京入りしてヒーリングスクール、3泊4日。
なんだか怒涛のような流れの中にいる感覚があります。
今年、激しいな、って思います。
ところで、前にも、自分のセクシュアリティについて考えたり
好きとはどういうことかって考えたりしたのですが
ちょっとまた自分考察が深まっているのでシェアします。
私ずーっと前から「好みのタイプ」というのがなくて、みんなが社交の場で「好みのタイプどんな人?」という話に全く入れなくて「好きになった人が好みだ」というだけだったし惹かれる条件というのも特になくて「ただそのタイミングでその人だったから」というだけだったから当然、性別とかで門戸を自主的に狭めてきたわけではなかったんですね。まあ、結果的にはほぼシスヘテロ男性と関係が深くなることばかりだったけれど。そのほかのセクシャリティを拒んで選り好みしてきたわけではなくて、たまたまそうだった、というだけだった感覚があって。
で、それが自分にとっては自然で当たり前の感覚だったんだけど、これってもしかしたらマイノリティなのかもしれないと思い始めたら、たしかに誰ともこういう話で合致したことないなって気がついて、いろんな面で誰とも合致しないことに慣れすぎていて、マイノリティかどうかも気にしたことが無かったというのは、結構自分にとってはインパクトのある認識の変化かもしれないな、と思うようになったんですよね。
そんなだから「どんな顔が好み?」という話にも入れなかったの「顔だけで好きになるとか無い」から。
「優しい人が好き」だけど、その優しさは「本質的」でないと「優しい」と認識できないし、それはそれなりに親しくならないとわからないことでもあるから、ある程度親しくならないと好きにはならないから「一目惚れ」みたいなことはほとんど無くて。
ただ、その人を見たときの印象というかその人の持つ雰囲気みたいなのはあって、それは今思うと、その人のエネルギーを読んでいたのだな、と理解できるのだけど、結構色んなことをそのように直感的、超感覚知覚的にに知覚してきたことにもあらためて気づいたりした。
だからなんとなく、この人、いいな、近くにいると心地よいな、っていうのは、けっこうハッキリとあったし、なんだろう、ある程度の確信を持って、エネルギー的にわかってしまっている部分もあったと思う。ただ先入観を持ちたくないから、超感覚知覚で得た情報というものに留保をつけるということは自然にやっているのだけど。
で、
私が、大切にしているのは
その人がどういう人なのかということであって
それは顔や性別などでもなくて
その人の持つ魂とその顕れを
ただ愛おしく思う
ということなのだと
今、あらためて、はっきりとわかる。
これが自分にとっての当たり前の感覚で
他の人たちが、そうじゃない
そんなふうに思えないものだなんてことを
知らないで生きてきた。
他者の愛の在り様にあまり興味がなかった
というのもあるかもしれない。
きっとそれぞれなのでしょうとも
思ってはいたから。
自分の、この愛の在り方というのは、ある程度の深い人類愛に基づいていたら、誰でも自然にそうなるんじゃないか、とも思う。
そのくらいに、そうじゃないってことがよく分からないのだ。
その人が本質的にどういう人なのかが前面にあって、他は背景ではないのか。
でも結局、誰もが魂レベルでご縁を感じているという話かもしれないしね。
どんどん自分だってほかの人だって変化していくのかもしれないしね。
なんて、そんなことを思う日でした。
今日のチャネリングメッセージは↓
とうときものこそ とこしえの
みたまのなごり おぼゆもの
われ ゆかんと 欲すれど
なみなみ ならぬ 想い
とどめたる 使命あり
今ひとたび 立ち上がり
友を 呼びて 集いしは
積年の 魂の 寄る辺なり
力を 与え はげまし合い
心 共に すべし
愛であれ
とこしえに とこしえに
では
あなたがあなたらしくただいるだけで愛されていることに気がつきますように。
おやすみなさい!