不思議のるつぼ

ほんとうのことも たいせつなことも ふしぎのなかでかがやくまほう

他者と異なるって本当はステキ

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みんなちがってみんないい

 


なんて、いまではもう呪文のように誰もが唱え、誰もがどこかで聞いたことのあるフレーズとなっていると思う。

 


私は、今、精神障害者福祉施設で働いている。

何かと「生産性」を求められる社会の中で

精神障害者には自宅と病院の往復くらいしか行き場がなく

あっても「作業所」という何かしらの労働をすることと引き換えとしてしかいられないような場所しかない。

労働賃金なんてあってないような程度しかもらえないから生活保護を受けたり、他者からのなんらかの支えがないと生活が成り立たない。

私が働いているその場所は、何かをしてもしなくてもいられる「居場所」としての施設だ。

 


私が出会った精神障害のある人たちの多くは

環境などによって酷い目にあってきた人だったりする。

この現代社会の歪みが人の心を壊しているのだということをものすごく実感している。

 


メンバーさんたちの話を聞くと、そんな状況でもよく生き延びてきたなあと敬意が芽生えることが多い。

彼らが、生きていることそのものから、勇気を分けてもらっている気がする。

 


死なない、という勇気。

 


マジョリティとは異なるということでもって差別したり排除したり、平気で人を見殺しにし、簡単に人の尊厳を奪うような仕組みがある社会の中で

そんな社会の中で傷つき、生き延びてきた人たちは心にだって傷を負う。

そりゃあ、そうでしょう、と思う。

 


そんな社会の中では、生き延びることこそ、この世界に対する抵抗運動だ。

支え合って生きていくことこそ、この世界に叛逆する抵抗運動だ。

 


たくさんの人が

みんなちがってみんないい

とか言いながら思いながらも

まだまだ全然、そんな社会になんかなっていない。

 


大きな声や多数派の声ばかりが目立って採用され

小さくて耳を研ぎ澄まさなければ聞こえない声や、声にならない声たちを、ちゃんと聴こうと耳を傾ける人

耳を傾けようとする人すら、まだまだ全然少ない。

 


私自身も

どうしてこんなに生きづらいんだろう?

 


という気持ちをずうっと抱えて生きてきた。

 


この日本という社会の中に、女性として生まれてきたこと、母子家庭で育ったこと、地方の街で暮らしたこと

管理された学校教育の中で自分を守り続けてきたこと、女子高で育まれたこと、美術教育の中で救われてきたこと

受験戦争で歪んできたこと、恋愛関係の中で気づいてきたこと、結婚をしたことで初めて知ったこと

出産をして驚いたこと、育児の中でもがいてきたこと、僻地に住んだり、地方都市で子育てしたり、地縁のない場所で何かを始めたり

離婚したり、仕事をしたり、作品を作ったり、学んだり、選挙を手伝ったり、セクシャリティが揺らいだり

いろいろしてきたけど

 


本当に、まだまだ手放しで、ひゃっほー!と幸せな気持ちでだけはいられない。

 


自分の内的な心境としての超ハッピーは修練を積み重ねてきたから結構出来るようになってきたけど

私はこの社会の中であらゆることと関わり合って生きているから

他者がどうかということも確実に響いてくる

そこに断絶を置きたくないという気持ちもあるから。

 


私たちは、互いに、響きあって生きているから。

 


だから、自分で自分のことをハッピーでご機嫌にさせることももちろん世界への多大なる貢献なわけだけど

 


やっぱりどうしても、それだけじゃない。

お互いに、関わり合って、生きているから。

 


周りにいる大切な人たちのこともちゃんと大切にしたい。

大切な人が大切にしている人たちのことも大切にしたい。

 


って考えていくと、結局、ひとりひとり誰もが大切な存在だなって結論に辿り着く。

 


すごく欲張りかもしれないけど

 


身近な人とだけ響き合っているわけでもないから

私たちは、遠く離れた誰かとも響き合って生きているから。

 


自分のハッピーも大切だけど

自分のハッピーは他者のハッピーとの関わりの中にあるから

他者のハッピーも超大事

 


だから、この世の中を変えてゆきたい。

 


誰もが暮らしやすい世の中に、変えてゆきたい。

 


心の底から、そう願って止まない。

 


ほんとうのほんとうに

 


みんなちがって、みんないい

 


が嘘偽りなく実現されていきますように。