不思議のるつぼ

ほんとうのことも たいせつなことも ふしぎのなかでかがやくまほう

雨を引き受けて濡れたかった

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今日はあなたの悲しみを想ったから

 

そぼ降る雨を引き受けて濡れたかった

 

いつか流したあなたの涙が

 

この星にこぼれ落ち

 

巡り巡って

 

海を渡り

 

空に舞って

 

この雨となり

 

いま空から降ってきているかもしれない

 

そう思うと

 

この雨は

 

あなたの涙

 

私はその悲しみを引き受けて

 

この雨に濡れよう

 

あなたの涙が

 

私をつたう

 

そぼ降る雨の水たまり

 

私の涙が

 

頬をつたう

 

コンクリートにこぼれ落ち

 

またいつか

 

雨となって

 

この土地を濡らす

 

いつの日か雨が止み

 

虹が出たらいい

 

その虹を

 

一緒に見たいと願う

 

だから今夜は

 

この雨を引き受けて

 

濡れて歩いた

 

 

2022/2/19/Sat

私の身体は、私の神殿

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LASヒーリングスクールから帰ってきて

数日間は身体的疲労に圧倒されて過ごし

それが落ち着いてきた頃

普段でさえ繊細な感覚がさらに強まり

心理的には内向という状態になって

あらゆるものごとを捉えるアンテナが全方向的に敏感になっていて

良くも悪くもかもしれないけど、以前よりさらにすこし無防備な感じがしている。

 


それで、これはたぶんヒーリングしてもらったこととも関連があるのだけど

「男性の性欲が怖い」という気持ちが自分の中にあることに気づいた。

 


以前からうっすら気づいてはいたけど、もう消化されていると思っていたら

まだ、全然あったぽい。

 


超感覚知覚が発達しているせいで、物事などを直感的に捉えて瞬時に「わかってしまう」ことが多々あってきたわけだけど

高校生の頃から男子たちのギラギラとした性欲を遠くからでも感じていたし「早く枯れてくれ、話はそれからだ」と思ってきたし

その後、恋愛の中で、セックスが楽しいってこととかにも開いていくわけだけど

同時にというか、先日書いた「かわいい」と言われておじさんに襲われた件もそうだけど

他にも何回も痴漢に遭ったり、もっと深刻な性暴力の被害を受けたことが少なく数えても2回はあって

そのうちの一つはいまだに誰にも言えてなかったりするわけだけど

それでもなんとか生き延びてきて、シスヘテロ男性との恋愛とかもしてきたし、深く愛することもあったし

幸せな時間もたくさんあったし、楽しくて気持ちいいセックスもしてきたけど

 


それ以上に、自分の繊細さが本当は尋常じゃないということを自分にも他者にも隠して生きてきたから

心の奥の方では、結構こわかったり、しんどかったりしてきたことにも、たぶん無自覚だったんだと思う。

 


今年になって毎日グラウンディングを深めてチャネリングをする中でより自分の感覚を認識できるようになってきて

LASヒーリングスクールで取り残されていた古い感情を扱ったりしたせいもあるしヒーリングを受けたからというのもあるだろう。

そういうことがあって、他者との境界をしっかりと捉えることができてきたせいというのもあるかもしれない。

 


性欲だって無くはないし、セックスすることだって結構好き。

 


だけど、男性の性欲そのものが怖い、という気持ちがある。

どうしても攻撃的な性質を感じてしまう。

 


そりゃそうだよね、女性の口や膣に勃起したペニスを突っ込んで、出し入れして射精するとかって

ちょっとその行為そのものに攻撃的な要素がゼロになるとは思えない。どんなに愛でもって行為したとしても。

それが悪いことだとも、思わないし。

ただ、自分の感覚的な問題なんだと思う。

 


そこにある、恐怖の感覚が、どうしたら癒えたり無くなったりするのかはまだよくわからないけれど

自分をちゃんと繊細な感覚の持ち主として認めて、自分でも優しく大事に接していくようにしながら

変容していけたらいいな、と思っている。

 


まあ、別にシスヘテロ男性とのセックスだけを前提にする必要はないし

そもそも挿入だけがセックスでもないし

というのはあるんだけど。

 


多分、こういうのって、日本に蔓延るポルノ産業とも深く結びついた問題だと思っていて

今までセックスしてきた相手がよくなかったとかそういうことなわけでもなく

性の営みとして見せられてきているものの質が良くないということや

性教育そのものが日本ではなされていないも同然なのもめっちゃ関係あると思っている。

 


自分もまともな性教育を受けてきたという自覚もないし

ただ実践するのみという状況の中にいて、嫌なことや危険なことをシスターフッドたちと情報共有してやってこれただけであって。

 


無防備すぎたという自覚もあるし、ヤバかったなという思いもあるし、実際ヤバい目にも遭ってきたし。

 


マジ、こういうのってどこから手をつけていけばいいのかなあとも思う。

せめてうちの子たちには伝えなくては、とは思うものの

いまだにちゃんとガチな話ができていないような状況で、恥ずかしくもあるのだけど。

 


性の話、すごく繊細なものごとを扱う話だから、なかなか難しいけど

もっとフラットに話し合っていけるようになったほうがよさそうだなあと思う。

 

 

 

私の身体は、私の神殿

 


世界を感受するアンテナとして生きている

 


だから、宝物に触れるように扱って欲しいのだ

 


自分でも、そういう気持ちで接しないとな、って思う

 


自分のことも、他者のことも

 


そういう意識を ついうっかり忘れてしまうことがある

 


だから、誰のことも責めたりは出来ないなと思う。

 


こうして書いて公開したり

誰かと話し合ったり

本を読んだり

しながら

 


少しずつでもいいから

 


誰もが自分の神殿を大切に愛おしみ

他者の神殿に敬意をもって接することが

できるようにお互いになっていけたらいいな

と思う。

 

2022/2/18/Fri

他者と異なるって本当はステキ

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みんなちがってみんないい

 


なんて、いまではもう呪文のように誰もが唱え、誰もがどこかで聞いたことのあるフレーズとなっていると思う。

 


私は、今、精神障害者福祉施設で働いている。

何かと「生産性」を求められる社会の中で

精神障害者には自宅と病院の往復くらいしか行き場がなく

あっても「作業所」という何かしらの労働をすることと引き換えとしてしかいられないような場所しかない。

労働賃金なんてあってないような程度しかもらえないから生活保護を受けたり、他者からのなんらかの支えがないと生活が成り立たない。

私が働いているその場所は、何かをしてもしなくてもいられる「居場所」としての施設だ。

 


私が出会った精神障害のある人たちの多くは

環境などによって酷い目にあってきた人だったりする。

この現代社会の歪みが人の心を壊しているのだということをものすごく実感している。

 


メンバーさんたちの話を聞くと、そんな状況でもよく生き延びてきたなあと敬意が芽生えることが多い。

彼らが、生きていることそのものから、勇気を分けてもらっている気がする。

 


死なない、という勇気。

 


マジョリティとは異なるということでもって差別したり排除したり、平気で人を見殺しにし、簡単に人の尊厳を奪うような仕組みがある社会の中で

そんな社会の中で傷つき、生き延びてきた人たちは心にだって傷を負う。

そりゃあ、そうでしょう、と思う。

 


そんな社会の中では、生き延びることこそ、この世界に対する抵抗運動だ。

支え合って生きていくことこそ、この世界に叛逆する抵抗運動だ。

 


たくさんの人が

みんなちがってみんないい

とか言いながら思いながらも

まだまだ全然、そんな社会になんかなっていない。

 


大きな声や多数派の声ばかりが目立って採用され

小さくて耳を研ぎ澄まさなければ聞こえない声や、声にならない声たちを、ちゃんと聴こうと耳を傾ける人

耳を傾けようとする人すら、まだまだ全然少ない。

 


私自身も

どうしてこんなに生きづらいんだろう?

 


という気持ちをずうっと抱えて生きてきた。

 


この日本という社会の中に、女性として生まれてきたこと、母子家庭で育ったこと、地方の街で暮らしたこと

管理された学校教育の中で自分を守り続けてきたこと、女子高で育まれたこと、美術教育の中で救われてきたこと

受験戦争で歪んできたこと、恋愛関係の中で気づいてきたこと、結婚をしたことで初めて知ったこと

出産をして驚いたこと、育児の中でもがいてきたこと、僻地に住んだり、地方都市で子育てしたり、地縁のない場所で何かを始めたり

離婚したり、仕事をしたり、作品を作ったり、学んだり、選挙を手伝ったり、セクシャリティが揺らいだり

いろいろしてきたけど

 


本当に、まだまだ手放しで、ひゃっほー!と幸せな気持ちでだけはいられない。

 


自分の内的な心境としての超ハッピーは修練を積み重ねてきたから結構出来るようになってきたけど

私はこの社会の中であらゆることと関わり合って生きているから

他者がどうかということも確実に響いてくる

そこに断絶を置きたくないという気持ちもあるから。

 


私たちは、互いに、響きあって生きているから。

 


だから、自分で自分のことをハッピーでご機嫌にさせることももちろん世界への多大なる貢献なわけだけど

 


やっぱりどうしても、それだけじゃない。

お互いに、関わり合って、生きているから。

 


周りにいる大切な人たちのこともちゃんと大切にしたい。

大切な人が大切にしている人たちのことも大切にしたい。

 


って考えていくと、結局、ひとりひとり誰もが大切な存在だなって結論に辿り着く。

 


すごく欲張りかもしれないけど

 


身近な人とだけ響き合っているわけでもないから

私たちは、遠く離れた誰かとも響き合って生きているから。

 


自分のハッピーも大切だけど

自分のハッピーは他者のハッピーとの関わりの中にあるから

他者のハッピーも超大事

 


だから、この世の中を変えてゆきたい。

 


誰もが暮らしやすい世の中に、変えてゆきたい。

 


心の底から、そう願って止まない。

 


ほんとうのほんとうに

 


みんなちがって、みんないい

 


が嘘偽りなく実現されていきますように。

 

 

 

 

 

 

振り子のように

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4歳の頃だったと思う。

母のお友達夫婦の家に、お正月に遊びに行った時のことだった。

母と友達夫婦はお節をつまみながらお酒を飲んでおしゃべりをしていた。

私はいつものように一人で遊んでいた。

 

みんな酔っ払ってきた頃に、夫婦のうちのおじさんの方が

はづきちゃんはかわいいなあ、と言って追いかけてきたので逃げた。

子どもが嫌がって逃げると、大人はなぜか喜んでいると勘違いして追いかけてくる。

お酒臭いおじさんが近づいてくるのが本当に嫌だっただけなのに。

 

いや〜と言って逃げているのに、おじさんは、待て待て〜と追いかけてくる。

本当に嫌なのに、全然わかってない。

可愛いからキスしちゃお〜とか言ってて

マジで怖くて逃げてたのに

お母さんもお友達も「やめなさいよ〜」とだけ言っておしゃべりしている。

 

私はついに泣き出した「ヤダ〜」と叫びながら逃げた

なのにおじさんは、しつこい。酔っ払っている大人って、しつこい。

私は、こたつの中に隠れた。

おじさんは、みつけたぞ〜と言って入ってきてつかまえられて

酒臭い顔を押し付けてきて超気持ち悪い

「はづきちゃんのファーストキッスおじさんもーらった」

 

私、ギャン泣き。

大人たちはなぜか笑ったりやめなさいよとか言ったりして全然わたしが泣いてるこの深刻さを

受け止めてくれる気配なし。

 

私は絶望した。

 

かわいいって、ダメだ。

かわいいって、弱い。

 

かわいいって、嫌なことされる。

かわいいって、なめられる。

かわいいって、襲われる。

 

私は自分の中の「かわいい」を封印した。

生き延びるのに、圧倒的に不利だと確信したからだった。

 

自分が「かわいい」にならないように、必死で抵抗した。

 

「かわいい」だって本当は好きだった。

バレエの時に着るチュチュやシューズの淡いベビーピンク

フワフワしていたり、ひらひらしていたりする、儚い気配の服

 

だけど、ダメだ。

かわいい、は不利だから。

 

代わりに「かっこいい」を採用した。

これは、強そうだ。

なめられないためには、かっこいい、が有利。

 

だけど葛藤する。本当は、かわいい、も好きだから。

 

そうして40年近く生きてやっと3年前くらいに

安全安心の中で「かわいい」と言われるようになったことで

やっと、自分の中の「かわいい」も「かわいいへの憧れ」も封印が解かれた。

 

やたらピンクのものばかり買って、身につけたり

無意識にフリフリした服や、フワフワするような服を買って

髪の毛を人生最長の長さまで伸ばしたりして

かわいい、を満喫した。

かわいい私、大好き

っていう気持ちに、浸った。

 

それからやっと、おもむろに、髪をバッサリと切り

髪質なんて捨ててキシキシになるまでブリーチして好きな色に染めてもらって

好きなデザインの服を着ている。

 

かわいいへの飢えが治まったから

やっと、自分に戻れた気がする。

 

私は、本当は、かわいいも、かっこいいも、どっちも好きだった。

 

今はすこし、かっこいい寄りの気持ちになっているのは

かわいいに寄っていた時期がわりとあったからだと思う。

 

こうして、振り子が行ったり来たりするみたいにしてしか

私は、私でいられないのだ。

 

そんなに最初から、真ん中を歩けない。

 

自分の本当って、そうやって感じ続けながら

振り子が行ったり来たりしながら

すこしずつ、真ん中のほうにいられる時間が長くなっていくことだと思う。

 

おかえり、かわいい私。

 

おかえり、かっこいい私。

 

ただいま、ただの、なんでもない、私。

 

ただいま、ただの、すばらしい、私。

 

今日もチャネリングはお休みしました。

もう少し時間が必要みたいです。

 

あなたの振り子がちゃんと揺れることを許されますように。

2022/2/16/Wed

ときめきLOVE

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私は、いま、ときめいている。

 

わけもわからないままに

ときめきちらかしている

 

このときめきはいったい何なんだろうか?

かんがえたところで、わかりっこない。

 

ただ、ときめいている、ということだけがある。

じんわり、味わったりしてみている。

 

何になのか、誰になのか

つかめそうで、つかめない

 

ただ、ときめいて

ドキドキしている

 

たのしい

 

そしてまた、ときめく

 

もしかしたら

時間そのものに、ときめいているのだろうか?

 

この今のこの時間に?

 

でも、対象が何かなんてことは

たいして重要じゃない

 

今ときめいている

ってことを感じ続けているこのことこそ

大事なんだろうと感じる

 

わけがわからないままに

そっとしておく

 

わからないことに

すこしワクワクしながら

 

ただじっとこのままでドキドキしている

 

このときめきは、まるで恋のようだって思いながらも

 

わからないままだ

 

ただ、なんとなくだけど

悪いことではない気がしてる

 

なにの存在を愛しんでいるのだろう?

 

存在のなにを愛しんでいるのだろう?

 

こたえはあるのか

あるならどこにあるのか

 

さまよっている

わたしの魂が

 

ときめきっぱなしになっていて

 

すこしその状態につかれる気もするのに

すこし嬉しいような気もしている

 

不思議

 

こういう不思議がとても好き

 

わからない

けれど

ほんのり心地よいような感覚があるやつ

 

世界のどこにでも起きていて

誰からも教えてもらえないような

 

不思議のこと

 

もっと深く知りたい

 

たくさんの不思議にまみれて生きていたい

 

不思議なことには

ときめくから

 

好きなんだなって

わかるから

 

ときめきの源がどこにあるのかなんて

だれも知らない

知らなくていい

 

知らないままで

不思議が泳いで

どこかにたどり着くかも

しれないんだから

 

このまま

このときめきを

おいかけて

どこまでも

いけたらいいな

 

いつか

どこかで

出会うかも

しれないからね

 

不思議に満ちた

なにものかに

 

2022/2/15

気持ちと行動を整合する

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2022/2/14/Mon

今日は三度寝までキメて、昼過ぎに目が覚めたけど、まだまだ全然ヨレヨレなんで

人生初のウーバーイーツ利用してケバブ屋の丼を二つ注文。届いたー!と起き上がったら

全ての動作に筋肉痛がついてきて、のっそりのっそりとしか動けないことに気づきました。

今も、このキーボードを打ちながら腕の筋肉や手指の筋肉が微妙に痛いのを堪えています。

 

こんななので今日もチャネリングメッセージはお休みにします。

 

なんとか夕方歯医者には行って、洗濯物を洗って干す、は出来たのだけど

それ以外のことの全てが、もうかなりギリギリ無理でした。

 

大きな解放の後には統合するための時間と休息が必要です。

私は今回のLASヒーリングスクールでヒーリングも受けたし、過去感情の解放もしてきたし

それら含めて他にも身体と精神のエネルギーをたくさんつかったので

変容の波が鎮まるまではおとなしく過ごそうと思います。

 

また、普段から感覚過敏なのですが、今はより繊細な感受性になっているようで

人の話し声などからもキャッチするその人の情報の解像度が必要以上に高くなっちゃっているので

観ようと思っていた興味のある分野の動画とかも、ちょっと話す人の声を聞くのが負担に感じて無理でした。

あとまだ思考すること自体がキツいんだなってのもあります。エネルギー結構使うので。

今、ようは、私はアップデート中なので、他の動作があまりできないんですよねメモリー不足になっちゃうから。

今日なんて、出した郵便物のことを忘れて帰りにまた切手を買おうとコンビニのレジで注文してから気づきましたから「あ!もう出してるから切手いらないやん」て。

そのくらい、ポンコツ度が増しているので、出歩いたり社交したりしない方が自分のためにもなるし世のため人のためにもなると思います。

 

とはいえ、明日から、仕事なんです。

 

なのでもう寝ます。

 

限界です。

 

BTSが提唱するより遥か前からLove myself, Love yourself.を実践してきたので

まずは自分をケアします。自分をケアもするし、他者が自分をケアするのも最優先にするのがモットーです。

無理はしない、ってのが基本。それが一番身近でできる世界への貢献です。

誰にも無理してほしくないですもんね。

 

それでもまあ、無理しないとできない仕事もあるのはよく知っています。

ぶっちゃけ、明日の仕事、行きたくないです。でもね、自分にも必要なことなので、やります。

やりたくないな〜と思いながらは行かないのです。

行きたくなーいって気持ちがあることも認める。認めつつ、行く必要があることも認める。

そして、行く。

自分の願いと整合しているので、この状態でならストレスはさほど感じないのです。

そして、行ったら行ったで楽しいことも知っているのでね、私の場合。

 

というわけで

 

今日はここまで。

 

おやすみなさい!

夢みること

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2022/2/13/Sun
LASヒーリングスクール全体の5日目、講座を終えてそのまま荷物を抱え東京駅から新幹線に乗り込み
直前に買ったガパオごはんを食べて、ウィルキンソンジンジャーエールを飲み、それでも足りなくて、追加でカツサンドチップスターを食べた。
すごい量だけど、このくらい食べないと、ちょっと追いつかないくらいの運動量だったのだ。

そうしてやっと、一息ついて、AirPods小沢健二の「天使たちのシーン」のハイレゾを聴きながらこれを書いている。

今回もまた、本当に濃い三日間だった。

昨日「全身筋肉痛」と書いたが、その認識は間違っていたのだと今思う。
今日は、このキーボードを打つ指や腕の筋までもが、筋肉痛だ。
今日のこれこそが「全身筋肉痛」だと改めて思う。

手指にも力が入らないほどの何をしているのか?ヒーリングスクールでだぞ?と思う方もいるかもしれない。
巷に出回っている「ヒーリング伝授」なんて、数万出せば簡単に伝授ができて遠隔で即席ヒーラー爆誕、みたいなこともよくあるみたいだけど
そういうのとはもはや色んな意味で次元が違うレベルのヒーリングを学んでいることは確かだ。
公園の鉄棒と競技としての段違い平行棒くらい違うものだ。

これまでも自己感情浄化に真摯に取り組んできた私だけど、こういう大人数のグループセッション中に起きる開放は
自分一人ではなかなか取り組みきれていない層のものが浮上してくるので
ガチで取り組めば取り組むほど、大きな収穫としての解放が起きることを知っている。
釣りでいえば、一人では鯵や鰯レベルなことが多いけど、安全安心にホールドされたグループだとカジキマグロ級の一本釣りができるって感じだ。

疲れ切っているので、いつもより思考回路がおかしくなっていて、例え話がなんか変。まあ、いいけど。

それでね、私は、今回のこの東京遠征で感じたのは
私は、ずっと自分のことアーティストだと思っていたから職人には不向きなんだと思っていた。
だけど、今回、ヒーリングを実習してみたら
私、ヒーリング職人になら、なりたいし、なれるなって思った。
毎日、ヒーリングして暮らしたい。
毎日、誰かの感情の開放、精神の解放、魂の解放の手伝いをして生きていきたい。
そのための研究や自己鍛錬なら全く苦にならないどころか、楽しくて仕方がない。
自分の感情浄化に取り組むのも大好きだ。
取り組めば取り組むほど、自分が生きやすくなって、しあわせの深度が深まっていく。
こんな楽しいこと、全然やめられないし、やめる気もない。
だって、超ハッピーになっていく。
そのことを通して、世界が私ひとり分、確実に変化し、良くなっていっているのをめちゃくちゃ実感する。

私が私自身を救うことで、確実に人間ひとり分はしあわせの分量が増えるのだ。
しあわせのパイは無限大だから、誰かがハッピーになって誰かの分が減るわけではなく
むしろ、ハッピーの相乗効果が起きて、私がハッピーであることで、私と関わっている誰かのハッピーも増量する。
そうやって、超ハッピースーパーハッピーのりのり!な世界になっていく。
この歌(誰ももう知らないか)はなんだか軽薄で好きではないけど、言葉としてちょっとお借りしてしまった、ノリで。

さまざまな厳しい状況についての情報が高速で行き来するこの世の中において、世界が少しでも良い方向に変化することを実感することって、なかなか難しい気もするけど
自分のことなら、めちゃくちゃ身をもって実感を持って感じることができる。
自分がBADモードか超ハッピーかくらいなら、わかる。

自分に誠実に生きる人が増えて、そこから大きなうねりが生まれて
世界全体が革命的に素晴らしい変化を遂げて欲しいと切に思う。

まずは自分の痛みを痛みとして感じることができるように
私はLAS式グラウンディングを全ての人々に伝えていきたいとすら思う。
他者との境界がしっかりと感じられたら、つまらない諍いや傷つきなど起きずに済む。

誰もがその人の本質を生きられたら
どんなに生き心地が良くなるだろう。

私はそういう世界を見てみたい。
この地球で生きているうちに
そういう世界がこの星で実現されるのを
見てみたい。

お花畑なバカな夢だと人に笑われても構わない。

私はこの世界が本当のハーモニーを奏でる日を夢みているし
そのために出来ることをしっかりやっていくし
絶対に諦めない。

壮大すぎて実現できないからって
夢みることまでやめてしまったら
そんなもの、本当に実現できなくなってしまうだけだってこと
よく知っているからだ。

だから、ここに、こんな人がいるよってことを記しておく。

もっと本当はいるんじゃないか、って思うから。

たったひとりで、心細くて泣いている
あなたのために。

ここにもいるよ、いるんだよ
って書いておく。

京都駅に着くと、ほっこりする。
東京のハリっとしたお江戸の緊張感も好きだけど、京都のはんなりとした空気も好きだ。

それでは、おやすみなさい!

いい夢、みろよ!!
あばよ!!
(by 柳沢慎吾)